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藤沢ファイターズ前代表  菊池守男
菊池さん 藤沢ファイターズの創立21周年をここに迎えることができました。

藤沢ファイターズは、昭和54年に「山王天神台ファイターズ」のチーム名で山王町の子供さん達を中心に創部され活動されたチームです。

結成当時は藤沢小学校地域内でも野球チームが4チームもあり大変盛んな時でもありました。
その後、少子化とサッカーブームにおされて野球少年が少なくなり、 昭和59年に「新西富ジャッカルズ」、同じく61年に「西富少年」、平成4年に「三富士タイガーズ」が解散し、山王ファイターズだけがかろうじて残ることができましたが、選手層を見ると、後2〜3年の活動で自分たちも解散の道を選択せざるをえない状況でした。

そうした中、コーチ会議の席上、選手確保のためにチーム名の変更が提案され、平成8年2月のコーチ会議で最終結論が出て現在の「藤沢ファイターズ」に生まれ変わったのです。

先輩の皆様方には以上のような事情をご理解していただきたいと思います。
選手確保にあたっては、本町小学校、大清水小学校にも知人を通じて勧誘し部員も確保ができ、ここ数年Aチーム、Bチームの2チーム体制で活動ができるまでになりました。
苦しいときもありましたが、このような活動ができたのも歴代マネージャー方の尽力の賜物であると感謝を申し上げます。

平成10年度は、藤村監督の率いるAチーム(主将:鈴木裕太)が藤沢市野球協会を代表し、TVKダイクマカップに出場し各地区の代表チームと対戦し見事、初出場初優勝を果たしました。
平塚球場での決勝戦、楽勝かと思っていた6回の表に追いつかれ7回の裏に劇的なさよなら勝ちをし、私たちに大きな感動を与えてくれました。

平成11年度においては藤沢市秋季大会1部リーグ決勝戦で全国制覇の「遠藤少年野球クラブ」との激戦の末惜しくも延長9回裏、涙をのみ準優勝となりました。

平成12年度においても藤沢市秋季大会1部リーグ決勝戦で「大庭バッファローズ」との激戦の末惜しくも前年に続き
準優勝となりました。
2年連続優勝は逃したものの、ファイターズの選手の一歩も引かぬ粘り強い戦いに大きな拍手が送られました。

中央リーグ戦では藤村監督率いるAチームと鈴木監督率いるBチームがともに兄弟優勝を果たし21周年記念の年に花を添えてくれました。

このように藤沢ファイターズが活躍できたのも、監督とコーチ陣がしっかりとしていること、ご父兄の皆様方の日頃からの温かいご支援の賜物であるここに深くお礼申し上げます。

これからも「野球を精一杯楽しもう」をチームの方針として、練習に試合にいい汗をかくことが出来るようにスタッフ一同がんばっていきますので、藤沢市野球協会の皆様をはじめ各チーム関係者皆様の益々のご支援とご協力をお願い申し上げまして、創立21周年のご挨拶といたします。