2013(平成25年) 34歳
*役 員* |
役 割 | 氏 名 |
---|---|
代 表 | 上原 敏雄 |
統括マネージャー | 吉住 進二 |
Aチームマネージャー | 吉野 真一 |
*コーチングスタッフ* |
背番号 | 氏 名 | 役 割 |
---|---|---|
30 | 磯川 一哉 | 監 督 |
29 | 石井 重樹 | コーチ |
28 | 小谷 明功 | コーチ |
*卒 団 生 |
No | 氏名 | 小学校 | 学年 |
---|---|---|---|
1 | シンノスケ | 藤沢小 | 6年 |
2 | ヒビキ | 本町小 | 6年 |
3 | ショウタ | 大鋸小 | 6年 |
4 | スズロ | 本町小 | 6年 |
5 | ナオキ | 藤沢小 | 6年 |
6 | ユウヒ | 藤沢小 | 6年 |
7 | リュウヤ | 藤沢小 | 6年 |
8 | コウタ | 藤沢小 | 6年 |
9 | ケント | 羽鳥小 | 6年 |
10 | ソウマ | 藤沢小 | 6年 |
11 | ハルト | 本町小 | 6年 |
12 | シンペイ | 本町小 | 6年 |
13 | タイチ | 藤沢小 | 6年 |
14 | シュン | 大道小 | 6年 |
- 2013/12/11
- A-KANTOKUからのメッセージです。
◆君たちは、最後の試合で優勝という最高の終わり方をすることができました。
しかし、歴代の先輩たちは最後の大会で優勝しない限り、敗戦という形で幕を閉じています。
これは2005年のAチームが最後の大会として戦った湘南若鮎杯、寒川エース戦で
7回裏ツーアウトから3点差をひっくり返され、悲劇の逆転サヨナラ負けを喫したときの試合コメントです。
*以下引用?
『やるせない思いがにじむ・・・』
それは7回の裏、
二者連続で三振に切って走者なしアウトあと1つ!と手の届くところまで来ていた・・・
しかし、その次に信じがたい出来事が目の前で起き、その手からするりと逃げて行った・・・
それまでの佳の快投、野手のファインプレ?の数々・・・疑いの余地もなかった・・・
勝ちを急いだか、浮き足立ったナインの守備が乱れ、逆転劇の悪夢・・・
最後の最後に、またしても、一投・一打、ひとつのプレ?が流れを変える恐ろしさを味わう結果
となってしまった・・・
が、しかし、試合終了直後は言いあらわせない悔しさで一杯だったが、結果としては負けたのだが、
今となってみればメンバ?は全てを出しつくして戦ってくれたし!
むしろ、そのミス以上に良い野球ができた事の方をほめてあげたいと今は思う!
きき腕の痛みから、満足に投げられなかった佳が、気力を振りしぼり威力十分の速球で
ぐいぐい押して相手打線を封じれば、守備でも、相手打者の完璧なレフト前ヒットを
大介が機転をきかせ、思い切って1塁へ転送し!レフトゴロにしとめたり!
得点圏に走者をおいた場面で、俊が相手打者のキャッチャ?フライを6メ?トルほど後ろの
バックネット手前まで追いかけ、最後は左腕を伸ばしてダイビングキャッチでアウト!にしたり、
雄平が3塁線へのライナ?を好捕し、1塁へストライクの遠投でダブルプレ?を取ったりと、
相手のチャンスをことごとくつぶし!
攻撃では、目標とした機動力野球をつらぬき、送る場面では誰もがシッカリ送り、
走る場面では誰もが一つ先の塁をねらい、打ってよい場面では快打や走者を進めるバッティングができ!
ここぞの場面では打順に関係なくスクイズを敢行するなど変幻自在!
われわれの目指す姿が完成した?!と感じ身震いさえ覚えたナイスゲ?ムだった!
これまでの戦い方のスタイルを変えたら、こうもピッタリはまって見事な戦いができるとは!
作者は言いたい!間違いなく今シ?ズンで最高の戦いぶりだったと!
先制点を奪った直後のミスでの同点劇や、最終回の連続エラ?での逆転劇など
やりきれない悔しさもあるかもしれないが、それは、これからの君たちの野球人生に活かせれば良い!
思い起こせば3年前、このメンバ?が低学年時代のデビュ?戦! 市三部の春季大会初戦で
相手、片瀬スカイラ?クスに突き放されては追いつき同点で迎えた最終回表・・・
ホ?ムランを含む長・単連打を浴びせられ一挙4点を突き放されて万事休すか・・・
と思われた我がチ?ム・・・ いけると思ったであろうスカイラ?クス・・・
ところがその裏、諦めないファイタ?ズは打って・走って・繋いで2点を追い上げ
さらに走者2人を置いて、大基の起死回生の一発逆転サヨナラスリ?ランで
奇跡の逆転勝利を飾ったのがこのチ?ムのドラマの始まりだった・・・
そして今、この子達が最後の大会となった試合で悲劇?の逆転サヨナラ負けで
幕を閉じたのもドラマが続いていたのだと思えてならない・・・
勝者の反対側には必ず涙の敗者がいるのだ・・・でも今回は勝者側になりたかったな?・・・
?*引用終わり(作者:29番江畑コーチ)
◆そして、そのコメントを受けてKANTOKUが当時のAチームに送ったメッセージです。
投稿者:B-KANTOKU 投稿日:2005年11月 7日(月)22時58分31秒
『Aチームのみんなありがとう』
6年生最後の大会、無念の敗戦だったことと思います。
月並みですが終りは次なるステージの始まりです。
私ごとで恐縮ですが、私の母校の南高校野球部は公立高校としては当時県下でトップクラスでした。
しかし強豪私学の壁がなかなか破れませんでした。
春の県大会、藤沢商業(現在の翔陵高校)戦で肩を痛め投手をクビになり外野へ...
この時期のコンバートはつらいものがありました。入り込む余地はありません。
高校生活最後の夏の大会、強豪私学を破って一応は甲子園へ行く夢を持っていました。
初戦は藤沢の八部球場で...この試合はベンチを温め最後に代走で出場。
迎えた3回戦は平和球場(今のハマスタ)、この試合私はレフトで先発出場しました。
この試合に勝てば次は強豪私学と、という試合。相手は文武両道の県立高校、
みんなこの試合よりも次の試合のことを考えていました。負ける事なんて、これっぽっちも思っていません。
梅雨が明けきらぬ曇り空の下、朝まで降った雨でマウンドはぬかるみ、
本格派のうちのエースは足元が定まらず、ボールが走らずコントロールも甘くなり打たれました。
それでももう少しでコールド勝ちになるくらいの点差をつけました。
雨がまた降り始め、監督と審判が試合続行について協議を始めました。
試合は成立していましたので当然相手は続行、うちは雨天コールドを主張、結局試合続行に。
果たして試合は相手に傾き始めました。コールドで勝てると思った気のゆるみからか、
エースはさらに打たれ交代しレフトの守備についたため、私がベンチに下がりました。
その後は3塁コーチャーズボックスに立ちました。
そしてノーアウト三塁のチャンス!
バッターがレフトへフライ、ランナーは主将の佐藤正弘君(昔辻堂元町ジュニアの監督でした)、
タッチアップから本塁へ、打球の深さは十分と思われましたがぬかるみのため脚を取られ本塁憤死。
明らかにグラウンドコンディションを考えなかったコーチャー、私のミスでした。ミスは一度ならず二度までも。
今度は堀池章夫君(大清水高校の元監督)を二塁において増田充弘君がライト前へ、
堀池君も私も躊躇無く本塁へ、しかしまたもや本塁憤死。そして敗戦。
この試合私はA級戦犯となり、しばらく立ち直れませんでした。
ほとんどの野球少年が高校野球で本格的な野球生活を終えます。
その最後になった試合で二度のミス、しかしそんなことも今では酒の肴として笑い飛ばしています。
青春のほろ苦い思い出として...
でもね、試合後本塁憤死の堀池君が「俺はお前が止めても行ってたよ。」と言ってくれました。
私はそんなことはなかろう、ベースランニングではコーチャーの指示が絶対なのだから、
きっと俺のことかばってそう言ってくれたんだ、と思うと涙が止まりませんでした。
彼とは今でも同じチームで早朝野球をやっています。
素晴らしい仲間と出会えた野球、人を思いやることを教えてくれた野球、
そう、Aチームの君たちも野球のおかげで素晴らしい仲間に会え、素晴らしい思い出を一杯つくったんだ。
これから中学へ行って、高校へ行ってもっともっと素晴らしい仲間、思い出をつくろうよ。
君たちの可能性は無限大だよ!
そしてBチーム、Cチーム、Zチーム、ファイターズのみんなに夢を与えてくれたAチームのみんなにありがとう!
◆【後日談】
実は、その後あきらめきれない時の総マネが電話しまくって
探し当てた正真正銘最後の大会となったのが「ニューまほろば大会」です。
KANTOKUのメッセージはその時点で間抜けなコメントになってしまったのですが、(笑)
このメッセージには各方面から数多くの涙の返信をいただき、感動の通勤電車になりました。
今となっては懐かしい思い出です。(Aカントク)